September 2001アーカイブ

20代で考えていたこと。2の続き。
そのころ私は結婚し働くことをしばらく中断しのんびり暮らすことを選びました。幸いにも彼はかなり年が上でしたので、しばらくは優雅でのんびりした時間を過ごすことが出来ました。

でも、やはり働きたい気持ちは抑えられずわずか3ヶ月も休まずに、私はまた新聞求人欄を見始めるようになりました。そして、そのころ一番好きだったし身近にあったブランドのメルローズで、販促係募集の記事を発見し、またまた履歴書を送ってしまいました。今度は前回よりも、ほんの少しですがやって来た事も話せましたし、自分が好きだからここで働きたいということも伝えられることが出来ました。会社の方もとても若くて元気で以前とまったく違う社風を感じで、うきうきしながら帰ったのを思いだします。

しかし、この面接は不合格に終りました。とても、ショックでしたが、しょうがないのでまた暇な奥様業に戻り、毎日を過ごしていました。それから1ヶ月、不合格だと思っていたメルローズから、「働きませんか」というお誘いがありました。前の方がすぐに辞めてしまわれたそうで、私のことを覚えていてくださった常務の方が声をかけてくださり、第二の社会人生活が始まりました。

この時のメルローズとの出会いで、私は初めて仕事ということをきちんと意識するようになったのです。なぜなら、自分の予想していた以上に毎日忙しくなり、また会社も恐ろしいほどの速さで大きくなり、初めて自分の人脈を持てるようになったからです。そのころの仕事に求められる速度は本当にすさまじい感じでした。また私の仕事もかなりの雑誌で取り上げられ、呼び名もアタッシュド・プレスという、海外で呼ばれているのと同じになり、ファッション業界では、デザイナー、スタイリストにつぐ人気職種(雑誌の中では)になりました。(私にはあまり関係ありませんでしたが)その頃の私はまたまた悩みをかかえてしまいました。

それは、いつもニコニコいい子、イエスマンでいることに対する、自分らしくないことの恐怖。出来ないと言えない自分。モデルでもないのにいつもきれいで可愛く自社のブランドを着ていなくてはいけない事に対する不満。それを求められていることに対する疑問。編集の方に気に入られたくさん雑誌に載ることだけで、自分が評価されるのは嫌だと、休みの日には疲れきって良く落ち込んでいたのを思い出します。自分の実力を、あまり良く分からないのにこんなに毎日が充実して仕事ができる事、それが時代や会社の力だと分からなかった20代後半の不安定な時期でした。

隣りの芝生が、何とやらではありませんが、まわりを見ては比較していたり、何だかもやもやした物があったりして何を着ても似合わない、何をしてもつまらない日々に感じていたのもそのころでした。毎日早く30代になって大人の仕事がしたい、大人に見られたいそんな事ばかり考えていました。そして、そのころからかなり大人っぽい服や、髪型にトライし始め、自社ブランドではない、ダナキャランの洋服を、20万円ぐらい出して買ったり、40万以上もするバックをかったり、身のほど知らずの恥ずかしい奴でした。そんな、外ばかりを大人に装っていたって、中身がなければどうにもならないのと、今なら分かりますがね。そんなことで、自分をごまかしていたのかもしれませんね。

前回、私の最初の仕事について書きましたが、実際このころの私は本当に何も出来ないし、まだどのようになろうかと考える余裕も、やる気もない感じでした。そのうえ、一年経ったときにこの担当していた番組がなくなってしまい、仕事がない状況になりました。他の方々はタレント事務所に所属していたり、モデルさんだったりしましたので番組がひとつ終ることは、よくある感じだったと思いますが、私はその番組契約の社員でしたのでこれがなくなるということは、明日からどうすれば良いのかと悩んでもいました。

そんな中、タレント事務所のお誘いがなかった訳ではありませんでした(一応、1年間テレビに出演していたからでしょうか・・)。しかし、私にはどうしても芸能界という誰かを蹴落として上にあがっていく(ゴメンナサイ!偏見かしら・・)、上がろうとする人の多い世界にはなじめない気がして、毎日、毎朝、新聞の求人欄とにらめっこしていました。
そこで、あるデザイナーブランドの販促係の求人を見つけたのでした。また、たまたまそのブランドは母親がとても好きだったこともあり馴染みもありましたし、そのころ一緒に仕事をしていたスタイリストの方に聞いたら、きちんとした会社で伸びているというし、早速履歴書を送ってみることにしました。

もちろん、何ができるか、分かりませんが今までやってきたほんの少しの経験と、ファッションに対する興味を面接では話し、何とか合格し働きはじめました。24歳の春・・・。他の人より遅い社会人スタートでした。
最初に働きはじめたこの会社は、レデースのお洋服が中心でしたので、怖くて、厳しいオバ様販売員の方がたくさんいました。もちろんその方達がバンバン売ることで会社は大きくなっているのも事実でしたので、誰も文句は言えません。しかし、私たち20代の女の子にはかなりの風あたり、特に営業の同じ世代の男の子と仲良く夕ご飯にでも出かけようものなら、大変なことでした。「会社員になるってこんなことだったの、なんか違うんじゃない・・。」と毎日悩んでもいましたし、よく泣きながら帰ったりもしていました。後から考えてみれば、自分の幼さを棚に上げて、まわりに評価されないことばかりが気になって、もがき苦しんでいた・・・・だめな自分だったのですが。

またそこでの私の仕事は、本当に裏方でした。ショーの着せ替えから、雑誌への商品貸し出し、先生の秘書的なことから鞄持ちまで、ありとあらゆることをしました。そしてその頃の私の一番の疑問は、「これって本当にファッションの仕事?自分のためになっているの?」ということでした。30過ぎてからは人の悪口や愚痴は言わなくなりましたが、その頃はよく友人と飲んでは話し、ストレスを発散していたものでした。(人のせいにしたりして・・)
この事が原因かどうかは分かりませんが、私は体調も悪くなり、仕事に対する熱意もなくなり、その会社では2年も続かなかったのです。

たぶん、この時の仕事の辞め方が一番後ろ向きな・・・今となっては私らしくない、良くないパターンだったと反省していますが・・・。つづく

今回から、働き始めた22才ぐらいから今に至るまでのことを少しづつ思いだしながら書いてみようと思います。そもそも、私が大学を卒業したころは第2次オイルショックのころ、しかも女の子は4年生よりも短大生のほうが何事にも断然有利な社会状況でした。
お勉強も、それほど真面目にやっていなかった私にとってはかなり不利な条件が重なって、ますます、この先自分はどうなっていくのだろうかとか、本当は何ができるのだろうか、やりがいのある仕事って何なのと、毎日就職部に行っては、先生に相談していました。

これといって特技もない、22歳の私には初めての戸惑いでした。また、心のどこかで頼っていた父親の縁故というのも、このとき彼が病気になりあてに出来ず、自分で何件も会社めぐりをしては悲しい気分になっていたものでした。女性ができる仕事、女性だからこそ力を発揮できる仕事、そして何よりも自分が興味を持てることを探すことは本当にかなりの迷いそして葛藤でした。そのころは5年も働いたら、女性は辞めて欲しいような雰囲気はどこの会社にいってもありましたし、もしかしたら、自分もそのくらいの軽い感じで考えていたような気がします。そんな中、大学の推薦で、ある商社を受けることになり人事部長の方とお目にかかっていた時です。彼に私は、こんな質問をしたのです。「やりがいのある仕事ですか。」そうすると、その部長の方は、「それはあなた次第ですよ。あなたの力でそうなるのではありませんか。」(※結果的に、この商社には内定をいただいたのですが、行かなかったのです。)

私は、今でもこの言葉を思い出します。確かに、何も出来ないし、分からないことばかりの自分だけれど、それを良い方向に持っていくのは、全て自分の力、考え方、しいては生き方につながるのではないか。22歳の私にとっては、もやもやしていたものがすっきりした、とても素晴らしい言葉でした。これからは自分のことは自分で決めて生きていく、そう心に誓ったのもこの時期でした。毎日を精一杯にやりながらと。
そして、何社も又、何種類も受けたあげく最初に就いた仕事が、テレビ朝日の女性向け情報番組の、レポーター、しかもファッション担当でした。人の前で自分の意見を言ったことのないような普通の女の子には未知の世界へのスタート。レポーターというのは、今でこそたくさんいらっしゃいますが、そのころは女優さんの卵の方や、新人タレントの登竜門、またはモデルの方々など、人に見られることに慣れているプロ集団でした。

ですので、私のような素人にはかなりのプレッシャーでした。学生独特の話し方を直されたり、テレビ用のメイク、やること全てがはじめて、しかもその撮影は朝早くから深夜になるのが常でした。またインタビューに伺う方も、全てが一流の方や、デザイナーの方だったりと緊張の連続でした。でも、そこで感じたのは、ファッションの面白さ、奥深さ、真剣に取り組む皆さんの姿勢でした。そしてこの時に、ファッションの担当にならなかったら、今この仕事をしている自分はいないと思うと、とても不思議な感じさえします。また、この仕事をしたおかげで、初めて人前で自分の考えを言う、伝える訓練を受けたことが、今の自分にとってとてもプラスになっていることは事実です。(だって、それまではかなりボーッとしていましたので・・・。)

これが、私のはじめての仕事でした。そして毎日、真剣にファッション雑誌(海外のものも含めて)を読み漁ったり、自分で企画書を書いてディレクターの方に持っていったりと、少しでも皆に追いつきたい、みんなの足手まといになりたくない気持ちでした。また、何回やってもうまく伝えられない、自分の言葉にならなくて、目の前が真っ白になってしまうこともありましたが、どうにか1年が無事過ぎていったのでした。何も分からない私がとりあえずやってこれたのは、今、思い出してみても奇跡だと思います、そして、そんな私を暖かくご指導いただいた番組に関わっていらした皆さんの励ましの言葉だったと思います。

こうして、何とか社会に第一歩を踏み出したのでした。

彼らはこのエストネーションの立ち上げを一緒に考え、悩み、けんかしそれでもこの4年間近くやってきた二人です。

そもそも、Oさんとは、バーニーズの立ち上げの時に出会いました。
年齢は私のほうがかなり上ですが個人的にも彼と私のだんなさんが友人ということや、Oさんの奥さんもバーニーズの元社員の方だったこともあり、公私ともどもかなり親しい感じです。

また、もう一人が、彼の先輩であるYさん。
彼とは、私は今回のプロジェクトを通じて出会いました。
もともとOさんの先輩で、彼らは以前からとても仲良しだったようです。そんな3人が「大人が楽しめるお店がないよね。」「仕事をするときに着られる服がないよね。」とかお互いに、食事をする機会ごとに話たりしていました。

そんな中、何時頃だったかは、記憶がさだかではありませんが、それならこの話、この考えをもう少し具体的に考えて見たいね。ということになりました。月に1回の打ち合わせが、2週間に一回になり、時には週に一回になり、前に進んだり、悩んだり、意見が分かれたり、やけに盛り上がったり、そうしてこのプロジェクトは進みはじめました。

ターゲットを決めるときや、名前を決めるときなども何度、もめたか分かりません。でも、一番面白かったのはやはり二人の考え方と、自分の考え方の違いを感じたときです。それは、時として今までの仕事をしてきた環境の違いだったり、しいては男と女の感覚的な相違からくるものだったり・・・・いろいろな理由からくる感じでした。きっと、若い時の自分だったら、とっくに辞めていたに違いありません。でも、今回はこの夢がかなうならば、かなう日がくるならばと、思い直してまた前をみて続けてきました。たまたま、みんなの得意な分野も違っていましたし、だからこそ信頼し尊敬し補う、そんな気持ちでやってこれたのでしょう。

昨年の9月に会社ができるまでは、3人で8畳ぐらいのオフィスで朝から晩まで、ああでもないこうでもないと話続けていたり、一緒に働いてくれる仲間を探して、何人かの人にあったりとそんな毎日でした。あれから、1年、この名もないエストネーションを信じて集まってくれた仲間は今や80人を超え、それぞれの分野で皆が今までの力を発揮してがんばってくれています。その皆の気持ちを考えると、ますます頑張らなくては思います。OさんもYさんもそう思っていることでしょう。

そして、今日2001.9.1 ここ有楽町にお店がオープンします。私たちにとっては、本当に夢の夢だったことが、現実となって歩み始めた記念すべき日です。また反対に、どのように皆さんに理解され、評価されていくのかと思うと恐ろしい日でもあります。

でも、これからも自分達を信じて、そして一緒に集まってくれた皆を裏切らないように、(もちろんお客様も)進んで行きましょう。常に初心を忘れずに。そして何年か後に、自分達の人生にとって一番素晴らしい日だったと言えるようになりましょうネ!

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