October 2001アーカイブ

こうして、私はめでたく、バーニーズ ニューヨークの第一号店オープニングスタッフになり、今までとは比べものにならないような日々がスタートしました。

何が大変かというと、まずは言葉の問題。自分では英語が話せる、書ける、読めると思っていたのに、これが仕事となると求められることも、早さも全然違っていて、その頃の私の能力では到底無理でした。言いたい事があるのに、それをきちんと分かりやすく伝えることが出来ない悔しさ、また12時間の時差によるコミュニケーションを即、取れないもどかしさ。また、本国が何でも決めるので、自分の居場所、自分のいる価値の無さなど、私って単なる窓口の役だけにいるのかしらという苛立ち。本当に、このときの必要とされていると感じられない毎日は、今思い出しても悔しい気分になります。

夢にまでみた、自分の大好き、憧れのバーニーズでやりたかったことって、こんなことじゃなかったはず。そう思い、まずは英会話の勉強からはじめました。そして次が、私の上司となるN.Y.側とのコミュニケーションを常にとり、何でも今は彼女に聞き、N.Y.のやり方、考え方、ノウハウを学ぶ、そしてそれを自分流に、日本のマーケットを考えて作り変えていく。認知度を上げ、集客力のある店、それでいてイメージアップも目指す。そんな、夢のようなことを考えていました。かっこよくて、売れる店。大人の人が集まる店。本物のN.Y.にも負けない雰囲気。これはかなり難しいけれど、やりがいのあることでした。

毎日、会社を出るのが夜中の1時はあたりまえ。
帰る前には、必ずN.Y.に電話をし、その日の全てを報告し、あと2ヶ月後に彼女?が来日するまでの下準備をする。この2ヶ月で3キロは確実にやせ、ヘトヘトでした。
そしてついに、1990年の11月3日、ついに新宿に一号店がオープンしたのでした。洋服,雑貨、インテリアにコスメやフレグランス、とても優雅で美しい新しいお店のスタートでした。どのフロアにいても気持ちのいい空間、洗練された商品、プレスの方々の評判もとても良く、たくさんの媒体にも露出、そして嬉しいことに時まさに、N.Y.ブームの真っ只中、なんだかいい波がきているような感じでした。でも、お店はこんなにきれいでも、最初のうちはなかなか数字には結びつかないつらい日々が続きました。でも、そんなことには負けず、新しいプロモーション、イベント、雑誌とのタイアップなど、考えられることで、私の得意なことをやり始めました。N.Y.という雰囲気を殺さないでできる方法を求めて。

この時が、本当に楽しくてつらかった、でもやりがいのあった毎日でした。何故なら、やったことが即、お店の数字に跳ね返るのですから。とても丁寧に考えてやったものは、確実に売上につながりますし、自分の中で迷いながらやったものや、人に言われたからやったことは、やはりそれなりの効果しかなりません。本当に、それ以来、何をやるにも手を抜かない、自分で考え納得してからしかやらない事を学びました。しかし、そのハードな毎日のせいで、ずぶといと思っていた私も、十二指腸潰瘍になってしまいましたが・・・。

また、その頃の私は、プライベートもめちゃめちゃ、順調だと思っていた旦那さんの会社も倒産し、ついには離婚ということにまでなってしまいました。
個人的にもかなり打ちのめされた時期でもありました。
こうして、あっという間の3年間が過ぎて行きました。

 つづく

このNYのバーニーズのお店を見た衝撃 を胸に、毎日働いていました。
そんな、私にとてもラッキーな新聞記事が飛び込んできました。

それは、バーニーズと伊勢丹との業務提携そして、日本での1号店オープン。何だかそわそわ、ドキドキしてきて、これは誰かに聞いてもっと詳しい内容を知りたいと熱望するようになりました。でも、私の中ではまだ転職をしたいとか、メルローズを辞めてでも行きたいとか、そこまで具体的ではありませんでした。何故なら、とてもいい環境で働いていましたし、今から10年以上前でしたので、転職というのがあまりメジャーではありませんでした。もちろんそれによって成功した人もたくさんにいたとは思いますが、苦労している話の方が多くて、私にとってもおっかな吃驚でした。しかし、ここで動き出さなくては何も始まらないかもしれないと感じ、とりあえずは、話だけでも聞きたいそういう気持ちで一杯でした。そして偶然にも私の友人がバーニーズの日本側の社長を知っているという情報をキャッチしました。そこで、とりあえずは話だけでも聞いておいて欲しいと頼み込みました。本当に興味と好奇心、期待や不安が一杯でお目にかかりに行きました。ところが、会ってみて驚きました。何故なら偶然にも、PRのできる人を探していたというのです。

単に話を聞くというだけのつもりが、いつの時期ならば、このプロジェクトに加わってもらえるのか、具体的に教えて欲しい、何故なら、後4ヶ月後には、新宿にお店をオープンするので・・・。
そんな、そんな急な話になってしまい、私の頭の中は、もうパニック状態。でも、もしもこのチャンスを逃したら・・・とりあえずこの日は、次回までに考えてご返事するということにしました。条件、時期などもご相談したいとも言われましたので。
そしてそれから一週間もしないうちに、バーニーズ ジャパンの社長から、是非、紹介したい人もいるのでということで、再度お目にかかかることになりました。

そこで、これからのことを相談して行くうちに、お給料のことになりました。すると、その当時いただいていた金額より、100万円もダウンの提示でした。100万円ということは、月にして8万円以上、もちろんボーナスもありますし、それだけではないかもしれませんが、かなりのダメージ。これまで、ず~っとお給料は上がることに慣れていた私には、どのように理解したらいいのか、またそれでも始めたほうがいいのかなど、迷ってしまいました。

でも、あのNYでの衝撃、新しいことに最初から取り組める楽しみ、希望、やりがいはこのお給料には変えられないと考えました。また、このとき初めて年俸制、しかも一年毎の契約社員という形で入社してはどうか・・という話しになりました。その理由は正当な判断も一年毎にし、その結果によってお給料に反映することができるのではないかと、会社も私も考えた結果でした。それと、親会社というのがあって、子会社の人は、同じ年齢であれば、親会社の人のお給料を上回ってはいけないという、暗黙のうちの掟のようなものがあったからでした。能力が上でも、そういうのが日本の大きな会社の現状だったようです。で、そんなことに負けたくない、また自分の能力を試したかった私は、この制度を試すその会社での第一号になったのでした。

こうして、まったく新しい会社、業態、業種での転職を決め、動き出す決心をしました。
今まで、自分がやってきたことを本当に試せる、試させられる期待と不安の入り混じった気分でした。バーニーズ ニューヨーク1号店が新宿にオープンする2ヶ月前だったと記憶しています。

つづく

こんな感じで、わがまま放題で働きだした30代はじめ。
お給料も人並み以上にもらい、いろいろな所では会社の知名度も上がり、むかうところ敵なしのような時期を過ごしはじめた私は、その頃はやりのキャリアウーマン気取りでした。
良いのか悪いのかは別として、本当に24時間仕事のことを中心に生活していましたし、常に仕事に役立つ物、場所、本、音楽といくら時間があってもたりない日々。ですから、もちろん家のことは一番最後になっていて、だんな様とのコミュニケーションもかなり少ない感じでした。(今頃、反省してもだめですね・・。)

自分は一人ではないのに一人で生きているような強気の感じで、毎日ぶりぶり、つっぱって生活していました。ただ、その頃から自分のスタイル(服装)には、なんだかとても不満を感じていました。それは、黒い服を着始めて、私は少しづつですが、おとなに近づいていっていた感じでいたのに、メルローズには自分に似合うものが、だんだん少なくなってきていると思い始めました。そして、いつのまにか着る機会が少なくなってきていました。これは私の仕事には、かなりのダメージ。
何故なら、プレスという仕事は、やはりその時の自社ブランドを着ていることは絶対ですし、またその着こなしが編集の方やスタイリストの方にも影響し、大事なPRになるからです。もちろん自社ブランドに対する熱意も半減して見られてしまいますし、それはとても良くないことだと感じていました。しかし、その事は私の気持ちの中で、ドンドン大きくなってしまい、毎日自分らしいスタイルで働けない、洋服というのはもっと楽しむ物なのに、全然楽しめないなど、気持ちまでもが後ろ向きな感じになって行ってしまいそうでした。よく考えてみれば、これは洋服だけのことではなく、仕事の仕方、考え方、これからのこと全てが迷っていた、迷いはじめていた時期だったのでしょう。こういう時期は本当に何を着ても似合わない、何をしても納得がいかないなど、だめだめ、いやいやづくしが大きな原因だったのです。

そんな頃、メルロ―ズでは10年近く働くと海外研修に2週間自分で組んで出かけることができる制度がありました。そこで私は、かねてから行きたかった、パリ一週間、ニューヨーク一週間に出かけました。のんびりした、文化の香りと古い歴史を感じられるパリ。そして街中が、新しいエネルギーに満ちていて、その両極端が一度に味わえてとても刺激的でした。どちらといえば、私の中では断然NYが好き、そしてそこで訪ねたバーニーズの虜になってしまいました。おとなの店、重厚で雰囲気があって、そこにいるだけでオシャレな気分になれる。今まで一度も感じたことのない素晴らしさ。こんな店で働きたいな~、日本にもこんなお店が出来ないのかな~と自分本位に考えていました。あの時のお店で味わった緊張感を思い出すと今でもワクワクします。

そしてこの思いは、今も私の仕事の原点になっていることは確実です。
そんな思いを胸にいつもの生活に戻りました。32歳の春だったと思います。
もちろん、その時は、日本にこのバーニーズが進出してくるとは思ってもいませんでしたし、まったく予想もしていませんでした。この後、自分がバーニーズ ジャパンで働くようになるなんて。

つづく

20代の頃に考えていたこと の続き・・・。こんな、中途半端だった私ですが、30代になるかならないころに会社の中で、確か主任か係長の肩書きが名刺につきました。
そうしたとたん、何故か自分に対する周りのみんなの接し方が変わってきたように感じました。

今までの良いコちゃんから、仕事をひとりでも任せられる自立した感じ。YESだけではなくNOと言っても許される自由。何人かの部下も出来、内外ともに采配を振るう機会も増え、やっと自分の足で歩きだし、立てた感じでした。会社の中でも偉い人たちの意見をじかに聞くような会議にも参加できましたし、それによって自分の耳で会社の今後や将来も聞くことで今何をしなくてはならないのか、どこを向いて仕事をしていくのかなど、中期的なものの考え方もできるようになり、建設的にまた前向きに仕事に取り組むことが出来ました。自分としては、何も変わってはいないつもりなのに、いろいろと判断したり決めさせてもらえることの喜び、やりがいを初めて味わいだしたのがこの時期でした。

個人としては、何も変わっていないし、一生懸命さも同じなのに5年以上一緒に仕事をしてきた、周りの信頼感なのか安心感なのか、とてもここち良く仕事が回りはじめました。ブランドの数もかなり増え、それぞれで求められること、やり方などを変えて考えることを要求されたり、カタログ、ショーの完成度もかなりレベルアップしなくてはいけませんでしたが、常に刺激的で楽しい毎日でした。
またこの頃、初めて私は黒い洋服を着るようになりました。
それまでも、もちろん紺やグレイ、白、ベージュなどベーシックでトラッドな雰囲気のものが好きでしたが、この時期、からす族と呼ばれるほど、ファッション業界ではクロが大流行、着ない人はいないというくらいの勢いでした。似合っていたかどうか、着こなしていたかどうかは分かりませんが自分なりには大人の女を気取って満足していたのを思い出します。

また、この頃の私のキーワードは大人。
おとなに見える、おとなの雰囲気、おとなのメイク、その上すこし仕事が出来たように錯覚もしていましたからよけいでしょうか。会社も飛ぶ鳥を落とす勢いということもあり、生意気度はかなりのもの。宣伝に関わっている人に多いマスターベーション、自己満足、陶酔型的なところもしばしば。今思えば、とても恥ずかしいことですね。でもこのような人はその頃私の周りには山ほど増えてきていました、時代が良かったこともあり、本当に、その年齢の私にはとうていお話しもできないような方にもたくさんお目にかかれましたので、それはとてもとても勉強になりました。何でも自分の力で出来ている、まわっているような錯覚になってしまってもおかしくないような環境。きっとかなり勘違いしていたと思います。自己満足、自意識過剰、つまりは20代とは違う意味の問題山積みで、私の30代はスタートしました。

ここまで何回か書いてみましたが、私の20代は本当に問題意識や目的意識を持たず、流されるままに毎日を過ごしていた感じでした。
毎日の作業に終われ、また処理に時間を費やし朝から晩までバタバタ動き回っているだけの仕事。クリエィティブなんてとても考えられる状況ではなかったとおもいます。そして、それがとても恐くて休みの日には美術館めぐりをしたり、洋書屋さんをのぞいたり、少しでももの作りに近い所にいなくてはと考えていました。また、面白いと誰かに言われればその映画を観に行ったり、楽しかったと聞けばコンサートに出かけたりと知らないというが怖くて、必死に過ごしていました。新しいレストランめぐりやディスコもこれも仕事の一環と自分に言い聞かせては、出かけていました。

自分の目で見る、感じるという、このときの経験は今の私の仕事にはとても役立っています。もちろんお金や時間も誰よりも使っていましたし、またこの時の投資がなければ今の私の仕事の仕方や物事に対する発想は存在しませんので...。

友人との付き合い方も、このころからとても変わりました。何故なら、接待という夜の仕事が増えたからです。それまでは、友人とプライベートな時間を過ごすのが常でしたが、このころから、雑誌の編集の方や、カメラマン、スタイリストの方と仕事の打ち合わせをしながらご飯をすることが増えました。正直言えば全てが仕事につながっていたわけではありませんでしたし、単に飲み会の時もありましたが、ここで私が感じたのは、こうしてコミュ二ケーションをとっていきながら、自分の言いたいことを伝えたり、相手の考え方を理解していくのが、仕事の場ではとても重要な意味を持つと言うこと。そして、たまには馬鹿になることもこの夜の席では求められる時があることなど、考えさせらるシーンが多々ありました。女であることで良かったとおもったときもあったし、接待イコール芸者みたいなことまでして嫌だなとおもったり、いろいろでした。でも、こんな20代を過ごしたくさんの人に会い、多くのことを学んだのは事実です。こうして、自分のスタイルを見つけるようになるのだと思いました。

それから、もう一つこの頃、自分のお給料についてとても真剣に考えるようになりました。私はとてもラッキーな20代だったと思います。それはメルローズがその当時、とても急成長していて、なんと決算ボーナスも出たりして、とてもいい待遇で働いていましたし、24才で働きだして辞めるまでの9年間で、なんとお給料は約3倍にもなり、たぶん自分の価値、働き以上にもらっていたようです。もちろんその時は気がつかなかったのですが、後々転職するたびにお給料は自分の通信簿であり、評価と感じ、人からお金をいただくということはとても重要だし、大変だということを実感するようになりました。それは、忘れてはいけないことのひとつであると同時に、皆さんも自分のお給料のことをもう一度見直してみてはいかがですか。

ところでこのサイトを読んで下さっている方の中にも私と同じように悩んだり迷ったり、不安を感じたり疑問をもちながら働いている人がいらっしゃるとおもいますが、20代の方であればそんなことは全然気にする必要はないとおもいます。教えてもらうこと、助けてもらうことを恐れず、素直に前を向いて、一生懸命仕事をし、人に嘘をついたりしなければ、必ず周りは認めてくれるはずです。そして、自分と全ての人が同じ考え、同じ価値観でなくてもそれは構わないとおもうことです。
世の中、敵もいれば味方もいるのですから...。そう思うとすこし楽に働けるようになりませんか。

次回からは、30代になってからの自分について書いてみたいとおもいます。

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今まで働いてきて感じたこと、悩んだ日々、迷った時間、その一つ一つが今の私の大切な財産、そしてそんな私を支えてくださった多くの方々に感謝と、愛をこめてこの本を書きました。

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