OLD midroom

少子化

最近新聞をでよく目にする、少子化。この言葉を見るたびに、私の周りにも子供のいない夫婦が確実に増えているなーと感じてしまいます。

私も25歳で最初の結婚をして、ちょうど一年ぐらい経ち二人の生活や、仕事にも慣れてきた頃、妊娠に気づき嬉しいような、恐いような毎日をおくっていました。ところが或る日、仕事の方が優先で自分の体の異変や状況になれていなかった私を突然、異常なほどの腹痛が襲い、慌てて病院に駆け込み3日間の入院、それでも異常な痛みに、出血は止まらず、切迫流産という結果が残りました。あの時の、恐怖、痛み、そして自分の中にあった母性という、母親になりたいと戦った日々。もしも、あの時子供が生まれ、母親になっていたら、私の人生はどのように変わっていったのかと、考える時があります。そしてあれ以降、何故か母親になることへの(身体も含めて)自信が持てず、あえてこの子供を持つということを避けて生きてきた感じです。

仕事もどんどん忙しくなり、面白くなり、このことを忘れるように働きつづけていた時もありました。そして、もう一つ、会社、社会に子供を持つことで、今と同じような状況、状態、ポジションで戻れない、働けないような恐怖感、 自分が出来ていなかったことへの、不安、自信のなさがこのような結論を出させたのかもしれません。そして、いつの日にか40代に突入し、今は子供がいない生活が当然のようになり、家族の単位も二人。寂しいとも悲しいとも感じず、あたりまえにように毎日が過ぎていっています。

でも30代の頃、もしも会社や社会が子供を持って働く事に親切だったら、そういう職場だったら、一緒に手伝ってくれるぐらい時間や気持ちに余裕のある男の人の働き方を彼が選べる状況だったら、変わっていたかもしれません。 女として生まれてきて、自分で出来ていないことの一つがこの母親になるということ。自分の子供を持ち育てるという事。少子化という言葉をみる度に、他人事ではなく心に問いかけている自分がいます。 自分の生きかたやだした結論を社会や会社のせいにはしたくありませんが、なんとも複雑な気持ちです。 子供を持つことの意義、意味、は私の人生のなかで一番難しく、明確な答えが出せない部分ですし。

自分らしく生きていきたい、それが今の私。
誰が決めたものでもなく自分が出した結論、結果なのですから。

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