OLD midroom

気持ちがある大人?

言葉の不足は心の不足に変わり、時々気持ちがすれ違ってしまっていると感じることがあります。
お店の仕事をはじめてから6ヶ月、お客様からのクレームもほんの一言がたりない、きちんと説明できていないというこの言葉の不足で生じていると感じます。よくよく考えてみると、家族でも、勿論恋人同士でも、夫婦でもほとんどの場合は、このコミュニケーションの欠落で問題が生じ、溝が広がったり、深くなったりするものです。付き合い始めた頃は、あんなによく話したり出かけたりしたのに、何年か経つと話すことが無い、話しても何も始まらない、伝わらないとあきらめている、良い意味では空気的な関係に甘んじているカップルや夫婦、家族を見かけるときがあります。

話すことをあきらめたり、やめてしまったら、その人と一緒に自分がいる価値や意味はあるのでしょうか?知らないもの同士でよりよい関係を作ろうとするためには、話すということを放棄してしまったらどうすればよいのでしょうか?新しい仕事をはじめて、いろいろな生い立ちの人や仕事をしてきた人と出会った時に、自分の考え、これからの展望を理解してもらうにはお互いに語りあうことが一番です。人によっては、居酒屋さんや、レストランでこのような環境を作ろうとしている方もいます。そしてお酒や美味しいものに囲まれると、人とのコミュニケーションがとりやすいというのが理由のようです。確かに、お仕事などを始めるにあたってお互いの本音や距離感を縮めるという目的にはこのような方法も無くはないでしょうが。やはり、私は仕事の話は仕事の場で済ませるのが好きです。そしてその場でお互いに目と目を見てとことん話すということの方が好きみたいです。仕事の話は、個人的な内容ではないので余計に、きちんと会社の顔と顔でのコミュニケーションの方がミスもないし良いような気がします。

公私混同になりがちなこの仕事。仲良くなりたいし、コミュニケーションは凄く大事だけれど、それが度を越すと・・・、なんていろいろと考えてしまいます。 伝える、理解し合うことで生まれる信頼関係や思いやり、それが無くては何も始まらないと、お店の仕事をしているとより一層感じます。話し方一つで気持ちが温かくなる、優しくなれる、元気が出る、そんなコミュニケーションができる人になりたい。 それには心が、“気持ちがある大人にならなくては”と毎日起きるいろいろなことをも見回しては感じています。皆さんの、周りはどうですか?

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