OLD midroom

何かを作る楽しみ。

自分のために、または人のために何かを作る気持ちをしばらく忘れていました。
仕事にかこつけて、ゆっくりご飯をすることが、最近とても多くなっていて、外食があたりまえのようになっている感じです。あんなに美味しい物が好きなのに、なかなか家で作るとなると、、、、面倒くさがっている自分がいました。

ご飯を炊いて、小さなおかずを作り、お味噌汁や納豆、それにお魚を焼けばステキな和定食になるのに、何だか億劫がっている自分がいました。誰か人が来たり、来る事がわかっている時はあんなに頑張れるのに、自分の普段の食事になるとなかなかダメです。でも、この時期は暖かい部屋でのんびりと、私もたまには自分の好きなものや、得意なもの、食べたいものなどを、せっかくだから作りたいし、試したいし、またどうせなら家を訪ねてくれる方々のご希望をかなえてあげたいしと、美味しい物作りに闘志が燃えます。
私の家は、もともと父がかなりの外食好き、しかも大酒飲みという事もあり、彼は母よりも食事に対する思い入れが強い人でした。その気持ちが、仕事が一段落した頃(多分60歳位)に爆発し、ついに自分でいろいろな物を作り始めたのでした。基本は和食、お鍋、炊き込み御飯、煮物、石焼鉄板焼き?しいては、中華料理まで。さすがにカレーやハンバーグはありませんでしたが、自分が食べたところで美味しいと感じた物は、板前さんに作り方を教えてもらい何しろガンガン豪快に作るのです。ご飯は、もちろんお釜で炊き、鍋も大きくて重い専門家が使う物でやるのですから、美味しいし、見ていて楽しい感じでした。
私は子供でしたし、「危ないからいいよ、何もしないで。」なんて父に言われて横でただ見ているだけでしたが、何とも豪快な男の料理作りは子供心に感心していたのを思い出します。
最近でこそ男女平等、何でも一緒に、もしくは半々には、あたりまえですが、厳格な父が率先して、しかも楽しそうにてきぱきと台所で働く姿は何だか嬉しい気持ちにさせてくれました。 そして、出来上がると自分はお燗を持ち食卓に。日本酒を飲みながら、皆に嬉しそうに、「食べてみてごらん、これは良く行く○○で習ったんだ。」と自慢げです。いつもあんなに厳しく、強く大きい存在の父がこのお皿を囲んだ時には、とても優しく可愛く感じた事か。

人に何かを作り、一緒に囲むことの大切さ、楽しさ、その一つがこの料理。忘れてはいけない特別なことの一つ、何だか寒い日が多いこの時期、思い出した素敵なことでした。

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