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2026/3/16
15年の月日が流れて、、、
2011年3月11日、皆さんはどこで何をしていましたか? あの日私は神宮前の事務所で、講談社の皆さんと次に出版する書籍の打合せの最中でした。 50年近い古い建物が良かったのか、3階のオフィスはなんだか長く揺れているように感じるけれど地震かしら?とそんな体感でした。 だから、大丈夫、大丈夫と地震が落ち着くのを待ちながら、皆さんと打ち合わせを続けていました。 しかし揺れはなかなか収まらず、少し心配になって外の様子を見に出てみると、多くの方が建物から出て道に集まって、なにやら不安そうな面持ちで話しこんでいる感じでした。 それから数分後、インターネットでは福島は震度7、東京も震度5強と今までに体験したことのないような数字が並び、一緒に打ち合わせをしていた講談社の方のメールには、この後はもう会社に戻らずに各自帰宅し、今後のことは部署からの指示に従うようにと連絡が何度も入ってきました。 それを聞いても、まだどのくらいの被害や状況なのか、この時点ではわかりませんでしたし、この後、外出して新しい仕事の方との打ち合わせやレセプションに伺う予定だった私は、この後どうしたら良いのか、頭が混乱していました。 すると、インターネットやテレビからは今までに見たことのないような映像や交通機関がストップしている様子が流れてきました。 怖いというよりも、まず、その日にお目にかかる予定の方に連絡したものの、携帯電話は全くつながらず、伺う予定のお店も初めての場所だったので、何から手をつけてこの日を乗り越えれば良いのか、時間とともに不安が募っていきました。 とりあえず仕事を片付け、目的の場所に向かい歩き出すと、街には多くの人が溢れ、中にはヘルメットをかぶり不安そうに歩く人の渦。 普段はあまり多くのことに動じない私でも、流石に不安でこの後何をすればよいのか、頭の中が整理できずに歩いていた帰り道、とりあえずこの日、また翌日に食べるものをスーパーによって少しだけ買って帰ることにしました。 そして家のソファに座り一息ついてテレビをつけると、予想以上の光景が目に飛び込んできました。 地震により家やビルの崩壊、道路の破損、高速道路や鉄道の運休などは予想していましたが、津波の画像には本当に驚いたと同時に、こんなに大きな津波が地震により起きるなんてと、本当にびっくりしてしまいました。 多くの方が犠牲になり、家や車が流されるその映像は今まで見たことのない恐ろしくて悲しい、信じがたい、まるで映画のワンシーンのような、作られたもののようにも見え、この日東北3県で起きているとは思えないような映像でした。 あれから15年、、、昨日久しぶりに伺ったSEIKOさんの東日本応援コンサートであの日のこと、3月11日に起きたことを思い出し、忘れかけていた自分がとても悲しく恥ずかしい気持ちでいっぱいになりました。 私たちにとってはあっという間の15年でしたが、あの日大切な人、物、場所を失った方々にとってはどんな15年だったのでしょうか? 考えるだけで胸が張り裂けそうになります。 自然の力には勝てないとは、災害のたびに感じ、自分たちの無力を実感する場面も多々ありますが、3月11日はまさにそんな日の一つと感じます。 この日、出演者の皆さんの気持ちのこもった歌声や、メッセージ、そして今の生まれ変わった東北の街の映像をみさせていただきながら、皆さんが本当に頑張っているのだと実感しましたし、この日起きた困難を忘れず、乗り越えて前に進まなければと強く思いました。音楽の持つ人を幸せにする力、勇気や笑顔を与えてくれることを実感しながら、これからもこの日のことを忘れずに、私も同じ日本人として東北の皆さんを応援したいと強く心に刻みました。 そして15年も、このような取り組みをされているSEIKOの皆さんに感謝の気持ちでいっぱいになりました。......
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