OLD midroom

40代で考えていたこと、2

朝の成田に到着し、アルマーニ氏も含めてイタリアのスタッフ一行を待つこと1時間。
ついにアリタリアから彼らが降りてきました。迎えに行った日本側のスタッフ、社長も含めて8名は、とても緊張して顔もこわばった感じ、そしてもうこの時から、テレビカメラの取材もスタートしていました。そして車に乗り、レインボーブリッジを渡った頃には、この16年間の東京に変わり方にとても驚いている、アルマーニ氏がいました。

本当はそのままパークハイアットにチェックインする予定でしたが、今すぐに絵画館前の特設会場の進行状況を観に行きたいとおっしゃり、車は行き先を外苑に。
この彼のエネルギーの高さには、さすがに全員が驚いたものでした。
そして、場所を見てから今度は、このとき来日を記念したビルボードを見てまわるなど、本当に勢力的に動きまわり、やっとホテルに入られ、また次に日からのスケジュールの打ち合わせを…。
毎日、朝早くから、インタービューや撮影、それに加えてモデルのオーディション、会場のチェックと、本当に毎日、彼も彼のスタッフも朝から夜中まで働きずくめ。
私たち日本のスタッフもテンションは上がったままの毎日。
そして、遂に絵画館前には大きな2つの特設テントが完成し、アルマーニ氏のファッションショーがスタートしました。

今まで何回も経験しているファッションショーですが、このときは本当に特別な感じ、彼の世界に飲み込まれていくような、すごい力と観に来てくださっている方々のパワーで鳥肌が立つような感じでした。そしてレセプション、イタリア大使館でのプライベートなウエルカムディナーの演出も、それは、またN.Y.とは違った素晴らしくゴージャスでエレガントな感じでした。
本当にここが日本とは思えないような、素晴らしい空間がそこには出来ていました。これが、やはり彼が一流といわれているところだと、とても勉強になりました。
そしてまた、この場所にお越しくださった方々にも、ハイソサエティとはこういうことなのだと、教えられた気がしました。そして、上機嫌で彼らはミラノに帰っていきました。

この、長いようで短かった一週間が終わり、私もミラノのスタッフとも仲良くなり、お互いの信頼感、仲間意識も出来、これから仕事をする上ではとても良かったと思いました。やはり、何事も経験、そして嫌がらず、怖がらずやって見るものだと自分に言い聞かせながら。こんな、ばたばたの日々を過ごし、アルマーニ・ジャパンの生活も少しづつですが、自分のペースでやれるようになっていきました。
スタッフの皆や、他の部署の方、代理店の方々とも少しずつ距離も近くなり、自分の仲間とも同じ方向を見ながら働きだして来ている感じがしてきていました。
今まで、日本は実施するのが許されていなかった(雑誌等との)タイアップもいくつか出来ましたし、それが売上につながり、ブランドの認知度を再度確認できたりと、本当に少しづつですが、前に進みはじめていました。

しかし、このアルマーニ時代は本当にいろいろな所にいきました。年に最低4回のミラノ、に加えて日本国内のショーのための巡業、それもアルマーニにエンポリオ、アルマーニ・コルツィオーネ、その他にライセンスの香水、眼鏡、時計、ゴルフなど、自分の机に座っていることがほとんどないような状況でした。ですから、もちろん家のことは何も出来ない、ダンナ様はほとんどお留守番のような毎日。
会話もほとんど出来ないような感じで、一人の方がやっぱりいいかも知れないなどと、考えてしまったこともよくありました。よく男の方が家にいる時はいつも疲れて寝ていると言いますが、この時はまさしく我が家はダンナさんが2人いるような感じでした。このままでは、いけない、本当に結婚している意味がないと分かっていたのですが、その溝が埋めれる体力や余裕がないような感じでした。一緒にいても、何だか疲れていて楽しく出来ない自分もとても嫌でした。彼のことを嫌いになったわけではないのに…。

でも、自分で決めた転職ですので頑張るしかなかったのが、本音です。
今までやってきたことを、きちんと生かしながら、本国のスタッフを納得させること…。
それは、一流ブランドであればあるほど厳しく、時間のかかることでした。
でもこれが、○○ジャパンで働く人の試練なのだと言う事も、分かりかけてきたのでした。

つづく

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