OLD midroom

最初の上司?

若い頃は何も出来ていないにも関わらず、自分ひとりで何でも出来ているような錯覚に陥っていました。その頃、そんな私を常に厳しくも暖かく応援してくれた上司がいました。

まずは、メルローズ時代の社長。私と社長との出会いは23年前、入社面接の時、かなりやり手の40代後半の青年実業家という感じでした。その頃飛ぶとリ落とす勢いだった、ビギグループの社長の彼は、その当時ある意味業界のカリスマ的存在でした。優しい風貌の中にも厳しい感じで、まさに油ののった魅力あふれる感じでした。質問も的確でストレート、とても分かりやすい勢いのある面接、会社という感じでした。でも、このときの最終面接では、彼の一言で、他の役員の人が皆さん私をとりたいと言ってくれたにも関わらず、最後に残っていたもう一人の別の出版社を辞めた方に決めたようでした。(これは後で、常務から聞かされたことでしたが)

でも、皆さんの悪い予感があたり、その時に採用した方はなんと1ヶ月で辞めてしまい、私はその後すぐに働くことになったのです。そして、そのいきさつが、私に伝わっていると思っていた彼は、入ってすぐ私にランチを奢ってくれ、それはその頃ケチ(笑)と評判の社長にしては、かなり珍しいと会社中でしばらくは話題になっていました。そのランチのおかげで恐いもの知らずの若い私には、とても身近に社長を感じ、やる気になったものでした。そして働き出して数ヶ月、あるとき社長から「話があるので待っているように」と直々に電話がありました。いったい何を話したいのかと、気にしながら待っていると、最近、編集者の人やスタイリストの人から「メルローズのプレスは生意気でなかなか貸してくれないと言われている、、、そのことについてお前はどう思っているのか?」とかなり一方的な言い方。 しかもその話の発端は、社長の仲良しのスタイリストの方数名と編集の方が飲んでる席での話、キチンと論理的に、また事実関係を説明したのではなく、きっとそれぞれの言い分はあるかと思いますが、どなたかが何だかの理由でお貸し出しをお断りしたのが、お気に召さなかったのだと後で冷静になって考えてみたら分かったのでした。でもそのときの、若い私にとってはどれほど傷ついた内容だったか、また悲しい気持ちになった事か。またそれを鵜呑みにしてしかりつけた社長も許せない自分がいて、なんとその後1ヶ月は一言も話さず、生意気にも社長を無視しつづけ、それ以降はそんなことを絶対に言われないように、断る時は今まで以上に丁寧に、事細かに説明し、納得いただく方法をとるようにしたものでした。

そして、1ヶ月ぐらい経った頃、また社長からの呼び出し。何を言うのかと思えば、「いろいろ言う奴はいるけれど俺はお前がキチンとやっているのは知っている」なんて笑顔で言い出すではありませんか!「根拠のない、飲んだ席での噂話や中傷は、社長が味方して食い止めてくれなくては困ります、、社長が私達のことを一番理解してくれていると思っていたのにと、、、」若くてまだ、自分がコントロールできないでいたあの頃の私は涙ながらに話したものでした。そうした事が良かったのか、若くて頭の柔らかい社長は、とても私のことを理解してくれて、また認めてくれるようになり、いろいろな意味で仕事がやりやすい状況を作ってくれたのでした。 20代後半の悩み多き時代にこのような経験が出来た事、言いたい事を言えて、しかもそれを聞いてくれて、勿論叱ってくれて、それはとてもやりがいのある環境でした。一人では何も出来ない事は重々知ってはいたつもりでしたが、上の人によって自分の良いところを引き出して教えてもらった、私にとってはいい意味での初めの一歩でした。彼との出会いが無ければ、彼の一言、後押しが無ければ今の私は絶対にありません。

ある意味で、仕事をまじめにやろう、、誰にも負けないようにと心に決めたのもこの時からですし。今思えば、本当に感謝しています、社長、ありがとうございました。

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