OLD midroom

20代に考えていたこと。1

今回から、働き始めた22才ぐらいから今に至るまでのことを少しづつ思いだしながら書いてみようと思います。そもそも、私が大学を卒業したころは第2次オイルショックのころ、しかも女の子は4年生よりも短大生のほうが何事にも断然有利な社会状況でした。
お勉強も、それほど真面目にやっていなかった私にとってはかなり不利な条件が重なって、ますます、この先自分はどうなっていくのだろうかとか、本当は何ができるのだろうか、やりがいのある仕事って何なのと、毎日就職部に行っては、先生に相談していました。

これといって特技もない、22歳の私には初めての戸惑いでした。また、心のどこかで頼っていた父親の縁故というのも、このとき彼が病気になりあてに出来ず、自分で何件も会社めぐりをしては悲しい気分になっていたものでした。女性ができる仕事、女性だからこそ力を発揮できる仕事、そして何よりも自分が興味を持てることを探すことは本当にかなりの迷いそして葛藤でした。そのころは5年も働いたら、女性は辞めて欲しいような雰囲気はどこの会社にいってもありましたし、もしかしたら、自分もそのくらいの軽い感じで考えていたような気がします。そんな中、大学の推薦で、ある商社を受けることになり人事部長の方とお目にかかっていた時です。彼に私は、こんな質問をしたのです。「やりがいのある仕事ですか。」そうすると、その部長の方は、「それはあなた次第ですよ。あなたの力でそうなるのではありませんか。」(※結果的に、この商社には内定をいただいたのですが、行かなかったのです。)

私は、今でもこの言葉を思い出します。確かに、何も出来ないし、分からないことばかりの自分だけれど、それを良い方向に持っていくのは、全て自分の力、考え方、しいては生き方につながるのではないか。22歳の私にとっては、もやもやしていたものがすっきりした、とても素晴らしい言葉でした。これからは自分のことは自分で決めて生きていく、そう心に誓ったのもこの時期でした。毎日を精一杯にやりながらと。
そして、何社も又、何種類も受けたあげく最初に就いた仕事が、テレビ朝日の女性向け情報番組の、レポーター、しかもファッション担当でした。人の前で自分の意見を言ったことのないような普通の女の子には未知の世界へのスタート。レポーターというのは、今でこそたくさんいらっしゃいますが、そのころは女優さんの卵の方や、新人タレントの登竜門、またはモデルの方々など、人に見られることに慣れているプロ集団でした。

ですので、私のような素人にはかなりのプレッシャーでした。学生独特の話し方を直されたり、テレビ用のメイク、やること全てがはじめて、しかもその撮影は朝早くから深夜になるのが常でした。またインタビューに伺う方も、全てが一流の方や、デザイナーの方だったりと緊張の連続でした。でも、そこで感じたのは、ファッションの面白さ、奥深さ、真剣に取り組む皆さんの姿勢でした。そしてこの時に、ファッションの担当にならなかったら、今この仕事をしている自分はいないと思うと、とても不思議な感じさえします。また、この仕事をしたおかげで、初めて人前で自分の考えを言う、伝える訓練を受けたことが、今の自分にとってとてもプラスになっていることは事実です。(だって、それまではかなりボーッとしていましたので・・・。)

これが、私のはじめての仕事でした。そして毎日、真剣にファッション雑誌(海外のものも含めて)を読み漁ったり、自分で企画書を書いてディレクターの方に持っていったりと、少しでも皆に追いつきたい、みんなの足手まといになりたくない気持ちでした。また、何回やってもうまく伝えられない、自分の言葉にならなくて、目の前が真っ白になってしまうこともありましたが、どうにか1年が無事過ぎていったのでした。何も分からない私がとりあえずやってこれたのは、今、思い出してみても奇跡だと思います、そして、そんな私を暖かくご指導いただいた番組に関わっていらした皆さんの励ましの言葉だったと思います。

こうして、何とか社会に第一歩を踏み出したのでした。

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