OLD midroom - 2001/10

こうして、私はめでたく、バーニーズ ニューヨークの第一号店オープニングスタッフになり、今までとは比べものにならないような日々がスタートしました。 何が大変かというと、まずは言葉の問題。自分では英語が話せる、書ける、読めると思っていたのに、これが仕事となると求められることも、早さも全然違っていて、その頃の私の能力では到底無理でした。言いたい事があるのに、それをきちんと分かりやすく伝えることが出来ない悔しさ、また12時間の時差によるコミュニケーションを即、取れないもどかしさ。また、本国が何でも決めるので、自分の居場所、自分のいる価値の無さなど、私って単なる窓口の役だけにいるのかしらという苛立ち。本...

続きを読む

このNYのバーニーズのお店を見た衝撃 を胸に、毎日働いていました。 そんな、私にとてもラッキーな新聞記事が飛び込んできました。 それは、バーニーズと伊勢丹との業務提携そして、日本での1号店オープン。何だかそわそわ、ドキドキしてきて、これは誰かに聞いてもっと詳しい内容を知りたいと熱望するようになりました。でも、私の中ではまだ転職をしたいとか、メルローズを辞めてでも行きたいとか、そこまで具体的ではありませんでした。何故なら、とてもいい環境で働いていましたし、今から10年以上前でしたので、転職というのがあまりメジャーではありませんでした。もちろんそれによって成功した人もたくさんにいたとは思いますが、...

続きを読む

こんな感じで、わがまま放題で働きだした30代はじめ。 お給料も人並み以上にもらい、いろいろな所では会社の知名度も上がり、むかうところ敵なしのような時期を過ごしはじめた私は、その頃はやりのキャリアウーマン気取りでした。 良いのか悪いのかは別として、本当に24時間仕事のことを中心に生活していましたし、常に仕事に役立つ物、場所、本、音楽といくら時間があってもたりない日々。ですから、もちろん家のことは一番最後になっていて、だんな様とのコミュニケーションもかなり少ない感じでした。(今頃、反省してもだめですね・・。) 自分は一人ではないのに一人で生きているような強気の感じで、毎日ぶりぶり、つっぱって生活し...

続きを読む

20代の頃に考えていたこと の続き・・・。こんな、中途半端だった私ですが、30代になるかならないころに会社の中で、確か主任か係長の肩書きが名刺につきました。 そうしたとたん、何故か自分に対する周りのみんなの接し方が変わってきたように感じました。 今までの良いコちゃんから、仕事をひとりでも任せられる自立した感じ。YESだけではなくNOと言っても許される自由。何人かの部下も出来、内外ともに采配を振るう機会も増え、やっと自分の足で歩きだし、立てた感じでした。会社の中でも偉い人たちの意見をじかに聞くような会議にも参加できましたし、それによって自分の耳で会社の今後や将来も聞くことで今何をしなくてはならな...

続きを読む

ここまで何回か書いてみましたが、私の20代は本当に問題意識や目的意識を持たず、流されるままに毎日を過ごしていた感じでした。 毎日の作業に終われ、また処理に時間を費やし朝から晩までバタバタ動き回っているだけの仕事。クリエィティブなんてとても考えられる状況ではなかったとおもいます。そして、それがとても恐くて休みの日には美術館めぐりをしたり、洋書屋さんをのぞいたり、少しでももの作りに近い所にいなくてはと考えていました。また、面白いと誰かに言われればその映画を観に行ったり、楽しかったと聞けばコンサートに出かけたりと知らないというが怖くて、必死に過ごしていました。新しいレストランめぐりやディスコもこれも...

続きを読む

このページの上部へ

ARCHIVES