OLD midroom

些細な一言で縮まる2人の距離。

私にはとても大事な友人が何人かいる。
もちろん大事と思えるのには訳があり、何でも話せる、会うと楽しい元気になる、刺激になる…など、いろいろな理由はあるけれど、知り合った頃この人となら、永いお付き合いができるのではないかと思える理由の一つにその人からの些細な一言だったりする事があった。

例えば、食事をご馳走になった時には、すぐにお礼の電話やメールが来る。例えば、少し落ち込んだときにメールをしたり弱音を吐いたりしたときに、ホンの一言「頑張ってね。」とか「大丈夫よ、そんなことはよくある事、時間が解決してくれるはず。」「それより、この間ごはんした時元気がなかったけど、何かあったの…。」のように、その時にはそんな一言を言わないのに後で、お礼とともにホンの一言さらっと言ってくれる、それが妙に心を暖かくしてくれたりするもの。
皆さんにもそんな経験はありませんか。

この間も、実はいろいろな事があり、とても落ち込んでいました。でもその日は、仕事での打ち合わせが夜に入っていてどうしても、夕食を外部の方としなくてはなりませんでした。もちろん、自分ではいつもとかわらないように元気に明るい仕事顔で、その打ち合わせに参加し、そしていつもと変わらないように、しゃきしゃきと話し、食べ、飲み無事に2時間を過ごしました。もちろん、仕事中は落ち込んでなどいられないので、そんな素振りも見せませんが、「お疲れ様でした!失礼します。」と、皆さんと別れた途端、いつもの何十倍もの疲れが押し寄せてきて、家路についたのを覚えています。そんな翌日、その時に打ち合わせしていた一人の方から、ご馳走様のメールに励ましの一言が添えられていた内容のものが届きました。
「昨日は、ありがとうございました。でも、なんだかいつもと違ってお疲れの様子でしたが、何かありましたか?あまり無理をしないようにね。」と、その方とはそれまで仕事だけのお付き合いでしたが、この一言でとても近しい感じがして、暖かい気分になり、仕事仲間というよりもお友達としての距離がグーンと近くなったように感じたものでした。こんな風に、ほんの一言でとても幸せな気分になれたり、時には逆に傷ついたりするものです。

人は、年を重ね、仕事に追われてくるとどんどん我侭になり、人の気持ちが、思いやる事ができにくくなってきます。自分が今までで、とても嫌だと思ったことを、他の人に知らないうちにしてしまったり、自分が自分がとなってしまう時があります。それはとても怖い事です。何かをするにも、何かをしてもらった時にもきちんとお礼が言える、伝えられる、そしてその言葉に気持ちがきちんと入っていれば、このときに、私が感じたようないい気持ちにしてくれるものです。
つまり、感謝の心がきちんと伝えられる事。そして、それがきちんとできる事が意外と難しいのです。それができてこそ人とのいい関係が生まれいい仕事ができるようになるはず。そして、そういうことが出来る人こそ仕事の出来る大人の人といえるのではと、つくづく感じている私です。

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